せっかち。
なんかセカセカしている感じであまりいいイメージではないが、先日妻から初めてせっかちと言われた。
今までの人生で一度も言われたことがないからビックリしたが、その理由を聞くと確かにと思う節がたくさんあった。
自分はせっかちだったんだ
妻にせっかちと言われた。
こんな時に感じているようだ。
- 出かける時に早く行こう!と焦らせる
- 信号がギリギリの時に渡ろうとする
- 店内でゆっくりお茶を飲んでいる時など次の行動のことを考えてソワソワしている
他にもたくさん言われたが、思い出すと確かにそうだ。
常に焦っているような、その場に意識がなく次に次にと生き急ぐような行動をしていた。
そうだ、自分はせっかちだったんだ。
働いている頃は自覚があった

勤めている頃には、せっかちという自覚があった。
職業病だと思っていた。
というのも、職場はとてもセカセカと忙しく、電話がひっきりなしにかかってくるような環境。
そんな中で次々に決断を迫られる業務だったのだ。
だから電話に出ながらも、次のことを考えたり他の人に指示を出すことが求められていた。
そんなところに1日10時間も12時間もいたのだから、仕事が終わってもそのリズムはすぐに抜けない。
効率化だタイパだと意識しなければやっていけない状況。
嫌でも身についてしまう。
無職になってもせっかち
そんな職場から離れ、今は無職生活。
時間だけはたっぷりあるのに、妻からせっかちと言われ考えさせられた。
なぜまだせっかちなのか。
職業病が抜けないのか。
1年以上も無職生活を送っているのに、なぜせっかち?
それは自分の意識のあり方にあるという結論が出た。
今は毎日自分の力で稼ごうと、日々努力しているが一向に成果が出ない。
そう焦っているのだ。
1日でも早く、1円でも多くと、常に意識して行動しているけれど成果に繋がらないから、結果を求めるあまりどの行動をしている時でもせっかちになっている。
これでは前職の時と変わらないではないか。
せめて心に平穏をと思っていたが、全く変わっていない自分に少し反省。
いくら時間があっても心に余裕が生まれるわけではない

ということで、「いくら時間があっても心に余裕が生まれるわけではない」ということが自分の行動から実感できた。
確かに、どんな忙しい仕事をしている人でもいつも落ち着いている人もいるし、逆の人もいる。
結局は環境ではなく、自分の心のあり方なのだ。
そう考えるとどうすればせっかちがなくなる?
1つ1つの行動に集中し、目の前のことを楽しむ心が必要なのかもしれない。
そう思い実際にその気持ちでやってみるけど、最初だけでそのうちまたセカセカの気持ちが生まれてきてしまう。
これでは人生ずっとせっかちのままではないか。
言い換えれば死に急ぐようなものだ。
いつまでもセカセカと生きて死までを急いでいるようにも見える。
まずはこの瞬間。
他のことは考えずに、まずは目の前のことを楽しむ精神が必要なのだ。
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