51歳で退職って、なかなか勇気がいるもんですよね。
それも23年勤めた会社をスパッと。
ここでは、その経緯や決心した理由を話したいと思います。
23年間勤めた会社と仕事内容

僕が23年間勤めた会社と仕事内容はこのようなものです。
23年間勤めた会社

23年間勤めた会社は運送業。
紙の配送をしている会社で家族経営。
この家族経営っていうのが、なかなかの曲者。
僕が入った当時の社長は、とてもいい人で優しく、なぜかすごいオーラを持っている人でした。
社長の人柄で勤めていたというほど魅力的な人で、社内もアットホームな雰囲気で楽しく仕事をしていた記憶があります。
しかし、僕が入って8年後に社長は残念ながら亡くなってしまいました。
ここからが家族経営の恐ろしさを知ります。
もちろん後継人は先代の息子2人。
今さら悪口はあまり言いたくありませんが、かなりの独裁者。

他の会社での経験があまりないので一般常識に乏しく、理解できない部分がたくさんありました。
それでも辞める時までは、そこそこの給料をいただけたのでそこだけはかなり感謝しています。
仕事内容
入った最初の2〜3年は、ドライバーとして働いていました。いわゆるトラックの運転手です。
一都三県を中心に配達。
その後、新しい事業をやることになり、現場から事務所仕事に変わりました。
配送するトラックの配達ルートを組む「配車」という仕事です。
事務仕事はほぼ初めてで、最初はパソコンさえも使えないくらいのひどいレベル。

それでも1つ1つ覚えていき、途中からはパソコンを使ったいわゆるオフィス、ワードやエクセルも使えるようになりました。
エクセルは独学ですが、関数なども勉強し、配送量や運賃、配送先の情報などをまとめたり管理する表なども作れるようになりました。
23年の間で、ほぼ20年近くはこういった事務仕事をずっとやってきました。
激務をこなしながらも夢を追いかけることになった理由

そんな23年間の会社勤めのなか、夢をもつようになりました。
確か40代半ば頃だったと思います。
なぜ、その歳で夢を持つようになったのか?
これまでの経緯を振り返ってみます。
毎日の生活に疲れた
とにかく毎日の生活に疲れていました。
土日は基本的に休みだったのですが、かなりの激務。
まずは労働時間がかなり過酷でした。
朝5時には家を出て帰ってくるのはだいたい20〜21時。
はっきり言って毎日ただご飯を食べて寝るために帰るような感覚でした。
だって帰ってきて風呂に入って飯を食ったらもう23時過ぎですよ。
早く寝ないとすぐに出勤時間がやってきます。
そんな毎日は、事務職といえどかなり体力的にも精神的にも辛かった。
ほぼ毎日睡眠不足状態で、ぼーっとした頭で毎日の激務をこなしていました。

会社につけば電話の嵐。

今時電話?
って思うほどの古い環境の中で、ただ配車を組むだけではありません。
鳴り止まないほどの電話応対をしながらの配車業務。
会社に着いたら眠いなんて感じる暇がないような環境でした。
このまま定年までと考えると…
そんな忙殺される毎日を過ごしている中で、ある日ふと、こんな考えが段々と思い浮かぶように。
- このままの激務の毎日を定年まで過ごすのか
- 平日はほぼ仕事で睡眠不足状態
- 土日も疲れが溜まっていて何もやる気力が湧かない
- この1週間のサイクルをずっと60歳、65歳まで続けていくのか…
こんなことを考えることが多くなり、今はまだ40代だけど、この生活を50代60代と続けられるかの不安も出てきました。
体力的にも精神的にもよくない状態を、あと何年続けられるのかと。
そんな不安が出てきた時に、ある新しい気持ちが湧いてきました。
仕事をしながら何かできないかと模索
湧いてきた新しい気持ちとは、
ということ。
- 平日は激務で無理だとしても、土日に何かできないか?
- 今のこの時代、パソコンやスマホを使ってできることがあるのでは?
そんな思いが出てきたある日。
たまたま本屋さんをみていた時に、ある雑誌が目に入りました。


それは副業特集をしたものです。
パラパラとページをめくりながら、1つの副業が目に入ったんです。
それは、
当時はブログに対して、ただのWeb上の日記というイメージでした。
いわゆる芸能人などが挙げているアメブロなど。
でもその記事を読むと、ブログで収益化ができるということを初めて知ったんです。



これだ!
と思いました。
だってパソコン1台あればできるんです。
特別な用意もほぼなく、リスクもほとんどなくノルマもない。
初期投資がほぼない状態で、好きな時間にできて、うまくいけば収入と時間の両方が手に入る。
そんな内容に、



もうやるしかない!
という気持ちに。
そこから、



ブログでFIREする!
という目標ができ、現在ではブログ運営9年目に入りました。
もう限界!退職は妻の一言がキッカケに


23年勤めた会社をなぜ51歳で退職したのか。
そんな理由を話したいと思います。
20年ぶりに突然現場仕事
この日は急に訪れました。
それは事務職から急に、



ドライバーになれ!
という話。
20年近くやっていた配車という仕事は、取引先に出向という形で勤務していました。
その取引先には配送という部門がなかったので、僕がいた運送会社が運送部門を全て担う形で配車業務も請け負っていたのです。
しかし、コロナ禍の影響から売り上げが激減。


配送量もだんだんと落ちてきて、苦しい状況になりました。
上司が取引先に、何度も運賃の改定やほぼゼロに近いサービスを続けることが困難などの要望を出しましたが、結局それは却下。
そこで決断したのが配送はやるけど、配車業務という事務仕事はできないとの判断でした。
そうなると、僕自身が20年近くやってきた配車という業務がなくなります。
そこで上司からは、ドライバーになれと言われたのです。
最初は、
- 20年ぶりにトラックに乗るのは自信がない
- というかやれる自信がない
- 今さら現場仕事は無理だ
と散々言いましたが、完全に却下。



嫌なら辞めてくれ!
ぐらいの雰囲気を出されました。
51歳で20年ぶりの現場仕事って、かなりキツくないですか?
それでも昔はトラックに乗っていたので、最初はビビりながらも必死でこなしました。
しかし!
身体がついていきませんでした。
- 腕
- 肩
- 腰
- 膝
と一気に痛みがきて、しまいには歩くのもやっとの状態になってしまったのです。


それでも、なんとか生活をしていかなくてはならないので、身体に鞭を打ちながら頑張りました。
妻の一言がキッカケに
退職するキッカケになったのは、妻の一言です。
ある日、足を引きずりながら歩く姿を見て、急にこんなひと言を放ったのです。



もういいんじゃない。十分頑張ったよ。会社を辞めてブログを1年間頑張ってみれば!
この言葉にはびっくりしました。
激務の中、6年間ブログを毎日やっている姿を見ていてくれたのです。
というのも、家を出る5時前の小一時間ほど早く起き、ブログを毎日書いていました。
土日の休日にも10時間前後ブログ作業。
そんな姿をしっかりと見てくれていたのです。
妻は、



このまま現場仕事で体を壊すのが目に見える
という言葉にも納得しました。
これらの言葉に背中をグッと押された感覚があり、51歳で23年間勤めた会社を退職する決心がつきました。
そこから無職生活が始まったのです。
現在の状況


現在は、ブログで成功できているかといえばNoです。
はっきりいって簡単な世界ではないというのが実感です。
2026年1月現在でブログを始めて9年目に突入。
ぶっちゃけ収入はというと、月に2万円届かないくらいの状況です。
それでも毎日コツコツとブログを頑張っているのは、やっぱり夢を諦められないから。


無職生活3年目に入り、先が全く見えない状態でもモガいています。
しかし現実から目を背けられないのも事実。
今までは、失業保険と少ない貯金を切り崩しながら生活していましたが、もう底が見えてきました。
単純計算で、今年1年はもたないところまでやってきました。
だから今は転職活動も少しずつやるようになっています。
蓋を開けたら、ただの痛いおっさんですよね。
仮にどこかで働くことになっても、ブログは細々でも続けいくつもりです。
最後に


さて今年はどうなっていくのか。
現在53歳になり、無職生活3年目。
求人を色々見ていますが、実績もスキルも資格もない53歳のおっさんが勤められる会社は、はっきりいってほぼありません。
それでも何か生活できるだけの収入を、今年中に確保しなくてはもう終わりです。
ブログをやりつつ就職活動も並行している最近。
どうなっていくのかは、また記事で随時報告していきますので、今後ともこのブログをよろしくお願いします。