塩竈市
と書いて『しおがまし』と呼びます。
僕が18歳まで育った故郷です。
珍しい名前ですよね。
住んでいた頃は当たり前で気づかなかったのですが上京して25年以上経った今、改めて見るとそう思います。
普段はみんな塩釜市と書いておりますが、本来は塩竈市です。育った僕でも手書きしろと言われたら書ける自信はありません。
僕が育った塩竈市にある実家は現在はもう残念ながらありませんが近くの市に母と弟家族が新しい住まいで生活しています。
昨年に数年ぶりに会いに帰省しました。
僕の生まれ育った塩竈市は仙石線(仙台と石巻をつなぐ電車)で30分ぐらいのところにあります。
今回は仙台でレンタカーを借りたので乗れませんでしたが、冬は電車のドアの横にボタンが付いていて駅に着いたらそのボタンを押さないとドアが開閉できない構造になっております。
これは多分東北の冬はとても寒いので寒気が入らないように考えられたシステムだと思います。
みんな降りる人はもう一度ボタンを押して締めていきます。この辺も東北人ならではの気遣い・優しさ・暗黙の了解だと思います。
最寄駅は本塩釜駅というところで、今では何もなくなってしまいましたが僕が住んでいた頃はそれなりに栄えていたのです。
駅から2分くらいの所にはジャスコがあり、駅横にもちょっとした店舗がありました。
お土産やさんとレコード屋さん、飲食店、ドムドムというハンバーガーショップ。
今でこそハンバーガーは普通ですが、当時のハンバーガーショップといえばそれはそれはとてもシャレオツな存在だったのです。
また駅から5分くらいの所に元町というところがありそこにはスーパーや小さい時からお世話になっていた『タンヨ』というオモチャ屋さんがありました。
またもう少し歩くと少々大きめの駄菓子屋さんがあり、その迎えには伊勢模型というプラモデル屋さんがありました。
この頃流行りだしていたいわゆる『ガンプラ』を買いによく行っていたものです。
小学校高学年になるとタミヤのラジコンが流行りこの時にもここの伊勢模型屋さんに通ったものです。
いやぁ懐かしい。本当に懐かしい〜〜〜。
そしてもう少し進むと七十七銀行がありそこを横目に歩いて行くと『塩竈神社』に続く階段があります。
今回は久々に塩竈神社にも参拝に行きました。すぐ近くに僕の母校『塩竈市立第一中学校』があります。
神社にある名所【202段】の階段を部活の練習で何往復もしたものです。
もちろん塩竈神社への行き方は階段以外にも、車で行けますのでご安心を。
こちらの塩竈神社はとても広く池があったり、以前は馬もいました。また博物館やお団子屋さんもあり、遠くには海も見渡せます。
とても素晴らしい神社ですので観光にもいいと思います。近くにいらした方にはおすすめスポットの1つです。
こんな昨年の帰省を懐かしく思った3月のある日でした。
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