独身時代の妻が一人で介護と闘ってきた過去【在宅介護ストーリー ~限界を遥かに超えた異常なまでの生活~vol.2】

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独身時代の妻が1人で闘ってきた過去


結婚を機に義母が入所している施設の近くに部屋を借りました。

それまでは2人とも東京に住んでおり毎週末に千葉県にある施設まで面会に通っていました。

妻は少しでも近くに居たいという気持ちが強く、毎日すぐに行ける距離にいた方が不安な要素が少しでも柔らぐと思っていました。

そんな妻を想い施設から歩いて10分くらいの距離の物件を借り結婚生活がスタートしたのです。

実際に近くに住んでみると面会に行くのもかなり負担が少なく、またすぐに施設へ駆けつけられるという気持ちからか、以前東京に住んでいた頃よりも安心感をかなり感じられました。

妻から聞いた話ですが、義母が倒れ一番最初に入所した施設がかなり酷かったみたいです。

背中とお尻にひどい床ずれをつくられ(今でも痕が残っています)、施設を出たいと申し出たらその施設の主治医が
「お母さんはMRSAに感染しているからここは出れないよ」

と言われて
「それでは診断書を出してくれ」


と頼んだら、あ~だこ~だと駄々こねます。

そんな医者に対して何度も何度も交渉を重ね、最終的にやっと
「誤診でした」

と嘘をつかれていたのです。

医者と施設がグルだったのです。

当時はまだ介護保険制度が始まったばかりの2000年。今とは違って介護施設はまだ入所者がほしいところばかり。

そんな時代ですから当時のその施設も義母を出したくなかったのです。介護状況もずさんなら施設と医者も最悪です。今のこの時代なら間違いなく大問題になっているでしょう。

介護保険制度が始まった頃は今では問題になるような施設がゴロゴロあったようです。

これが当時の現実です。 

その施設は今はないみたいですが何かあったのでしょうね。

そこに居たら義母はあっという間に殺されていたと思います。

現在でもニュースなどに上がる介護に関する悪い話は氷山の一角で、現実の施設はとてもずさんで、悪い所はビジネスとしてお金にしか目がありません。勿論中にはいい施設もあると思います。

一概には言えませんが、私の見解としてはほとんどの入所者は、ずさんで適当な介護ケアで殺されていると言っても過言ではありません。

最近は介護が必要とされる人口が増えてきたのでメディアに付きやすいという環境になりましたが、19年前の介護保険が始まったばかりの頃は、もうひどいヒドイ酷いの一言です。

その後も辛い思いはたくさんしてきました。

ぶっちゃけここで今まで酷い対応をされてきた施設名、医者名、ケアマネ名、病院名、その他諸々公表して痛い目に合わせてやりたいぐらいの気持ちが大いにあります。

しかし今の義母は穏やかに過ごせており、まして在宅介護でとても理想の生活を送れているので結果良ければ全て良しではないですが、そんな色々な酷い経験をしてきたから今があると考えるようにしています。

本当に今この記事を書いていてメラメラ腹ただしい気持ちやるせない気持ち今でも許せない気持ちになっていますが、今はこの記事を読んでくれている読者の皆様に、少しでも役に立つ情報または同じ境遇の方々の心の緩和になれればと思い自分の経験を書いていこうと思いました。

そんなとても衝撃的な辛い経験をしてきた妻を思うと今でも心が痛みます。

一人っ子で父親は小さい時に離婚して、母1人子1人の家庭で育ち二人三脚で歩んできた妻の人生に急に母が倒れ、頼る人も全くいない中、若かった妻が母を守ってきた介護との葛藤。

自分で言うのも何なんですが泣けるではありませんか。可哀想ではありませんか。

だけど私と出逢った頃はそんな事は泣きながら言わない。自分が何とかしなければという強い気持ちが感じられ、私はそんな妻に魅力の1つを感じていたかもしれません。

やっとの思いで何とかその施設から千葉県の1番長くお世話になった施設に移れる事ができたのです。

その時期くらいに私と妻が出会い、私と義母との初対面にこぎつけたのです。


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