先日の夕方、突然の訪問者。
ピン ポーン
はーい
〇〇町内会のものです。
そうだ。今日は敬老の日である。
我が家では要介護5の義母を在宅介護しているのだが、毎年町内会の人が菓子折りを持って訪ねてくれる。
とても有り難い心遣い。嬉しい限りだ。
ご挨拶させて頂いてよろしいですか?
義母がいる部屋へ通す。
義母が元気なら玄関まで呼んで挨拶を交わすのだが、要介護5の義母は寝たきりのため、町内会の人が義母のもとへ。
こんな光景を見て、義母に対する色んな想いが浮かんでくる。
義母は60歳に脳出血で倒れたのを機にずっと寝たきり状態。
初めから要介護5の認定がおり、介助なしでは生きていけない身体になってしまった。
今では四肢麻痺になり首から上しか動かせなくなった。
気管切開もしているので声も出ない。
それでも顔の表情や口をパクパクさせて何かを一生懸命話す義母を見て、コミュニケーションをとっている。
もし、将来自分がこんな状態になったらどうするんだろう?
どうなるんだろう?
なんてことをたまに考えてしまう。
僕は受け入れられるのであろうか?
その後は生きる気力が湧くのであろうか?
義母は倒れてから今年で20年目を迎える。めでたい事なのかそうでないのかよく分からないが、今でもバイタルはよく表情もいい。
そんな一生懸命生きている義母を見ていると、
すごいなぁ〜
強い人だなぁ〜
とつくづく思う。
倒れる前の義母に会ったことはないけれども、妻から聞くと元気な時も「とても精神が強い人で見習うことが多かった」と言っている。
女手一つで育ててきて、寂しさも与えず父親代わりも同時にこなしてきた義母には今でも妻は感謝しっぱなしである。
その精神を引き継いだ妻からは、僕も学ぶべき事が多い。間接的とはいえ、義母の精神を少なからず受けていることになる。
義母が元気な時の話をいろいろ聞くと、1度はその時の義母と合ってみたかったと思うが叶わない現実。
それでも本人はこうして目の前にいて毎日一緒に過ごしている。
言葉は交わせないが、第六感をつかって会話をする。
それが合っているかどうかは分からないが、コミュニケーションがとれていると思いたい。
今でもそんな状態になった義母からは教わることが多い。
そんなことを想った敬老の日だった。
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