あなたは幸せですか?
こう質問されたらあなたは何と答えるだろう。
僕は幸せだ。
在宅介護をやっていて、月曜から金曜まで長時間仕事で、持ち家も車もないけども幸せだ。
幸せってどこに感じるのだろうか?
今回はこのテーマについて僕なりの具体例をいくつかあげて考えてみたいと思う。

僕は月曜から金曜まで仕事漬けの毎日。
朝5時半に家を出て帰ってくるのは21時前後。中々の長時間労働である。
帰ってからは風呂に入り夕食をとり終える、自分の時間はほとんどない。家族団欒は少しでもとりたいし、睡眠時間も最低4時間はキープしたい。
仕事に対しては確かに不満はかなりある。長時間縛られるって事と毎日同じことの繰り返し。
でも自分で選んだ仕事だし、食べていけるだけの給料は頂けている。会社側はある程度自分の事を評価してくれているし感謝もしている。
だから会社に文句をいうつもりはない。これらの不満は自分で選んだ道で自分に責任があるわけだし、嫌なら自分で解決しないと駄目だと思う。
それを打破するために努力すればいいのだ。何か解決策を見つけて頑張ればいいのだ。
単純に時間がない事が幸せではないとは思っていけない。
何にでもチャレンジ精神がないと逆に生き甲斐を感じないのではないだろうか。
そんなチャレンジ精神を与えてくれているのも、こんな長時間労働を味わっているからだと思う。
そういう風に考えると、仕事漬けの毎日を経験しているからチャレンジ精神が生まれ、生き甲斐に繋がっているということになる。

不自由のないぐらいお金があるに越したことはない。
お金、お金というと嫌がる人がいるが、僕はお金が欲しい。
世の中の悩みの大半は、お金があれば解決できることがほとんどだ。
病気をしたってお金があればいい医療を受けられるし、やりたことがあれば必要な物を手に入れて集中する環境ができるし、遠くに住む親や家族に困ったことがあればお金があれば解決できることがほとんどだと思う。
ただ僕はお金持ちではないので推測論になってしまうが、果たしてお金があるからといって幸せなのだろうか?
僕は一概にはお金持ちの全員が幸せとは思わない。
お金持ちでも犯罪を犯すものもいれば、家族がうまくいってない人もいるし、心が寂しい人もいるのではないかと思う。
お金では手に入らないものあるのである。
そこに気づけるか気づけないかの差がポイントになるのではないか?

例えば持ち家。
ある程度の年齢になれば持ち家を持つ人がほとんだ。
確かにマイホームというのは多くの人が抱く夢だと思う。
僕の周りにも持ち家を持っている人が多いが、中にはこんな人もいる。
2~3年前に持ち家を購入してかなり喜んでいた。
「やっぱり長年のことを考えたら今購入してよかった。今が絶対買い時ですよ!」
なんて、とても喜びながら僕にも今買った方がいいよと勧めて来た。
しかし最近になってがなり愚痴をこぼしている。
「やっぱりよく考えて買えばよかった。駅から遠いし、周りに何もなく不便だし、子供が生まれて狭くなってきたし」。
現実の話で少し極端な例だが、こういうこともあるのだ。
確かにこの人は良く考えないで購入したことが後悔に繋がっているが、持ち家がありながら最初の喜びからこんなに変わってしまったのである。
また車も同様だと思う。
あれば便利に越したことがないが、なかには5月の重量税支払いの時期がくると何だかんだ文句を言ったり、ガソリン代が上がるたびに車を使うことをためらったりするものも周りにみてきた。
一概に持ち家や車があるからといって幸せとは限らないのである。
まとめ
これらの意見はあくまでも僕の個人的意見としてとらえて欲しいが、幸せと言っても人それぞれである。
ただ一つ言えることは、お金やモノがあるからといって幸せとは限らないということである。
よく「〇〇さんは家買ったんだって。いいなぁ~」とか感じる人も多いと思うが、人が何かを持っているから自分は幸せではないと思う人がいれば、それは勘違いと言いたい。
お金がなくても、家や車がなくても、自分の今の状況はどうか?
他人を基準にするのではなく、自分の今現在の状況をみて、満足しているのかという視点で見るといいと思う。
僕はお金、持ち家、車はないが幸せだ。
在宅介護をやっているが、仕事が終わり家に帰ってきて義母の元気そうな顔を見て、妻の夕食を楽しみにし、休みの日は3人で川の字になって昼寝をすることも幸せの瞬間の1つ。
どこで幸せと感じるか、心が落ち着くか、といったことなどを感じた方が分かりやすいのかなぁ~。
将来はお金や持ち家、車は欲しいと思っているが、今はこの状況でも充分に幸せを感じている。
夢をもちつつ、そこに向かってがんばればいいのだ。
人を基準に自分を考えたら誰のための人生なのか分からない。
基準は自分自身。
人生の主人公は自分なのである。
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