また逆に将来自分たちも、される側になる場合もあるということを考えるようになり、万が一そういう立場になった時に『こういう施設はやめよう』とか、『こういうヘルパーにだけは看てもらいたくない』とか参考材料もできました。
以前の自分は人のことなど全く考えずに自分さえ良ければいい的な考えがありました。
介護に携わるようになってからは、弱いものに対して守らなければとの意識が強くなり、また外にいる時にも困った人を見かけると声をかけるようにまでなりました。当たり前と言われれば当たり前ですが、以前の自己中の自分が大きく変われたのです。
義母は現在も元気に過ごしていますが、要介護5で四肢麻痺、気管切開、腸瘻という状態です。
分かりやすくいうと、首から下は全く自力で動かせず完全な寝たきり状態。声も出せず、口から飲み食いもできない状態です。
こんな状態の義母を見ていると自分がもし、こんな状態になったらどうなるんだろうなんて、よく考えるようになり、『生きるとは』ということを考えるようになりました。
考えても答えはまだでませんが、人生の意味を知るためのキッカケにもなっています。
たまに僕ら夫婦が喧嘩をしていると、ベットの上から「喧嘩はダメよ!2人仲良くして!」と一生懸命に訴える義母がいました。
こんな状態になっても僕ら2人のことに気遣う義母はとても優しく強い人だと思います。
また現在は声が出せませんが、僕が仕事から帰ってきて義母のところへ「ただいま〜」と声をかけると一生懸命口を動かし「おかえり〜」と言ってくれます。上の項目と被りますが、どんな状態になろうとしっかりと母親でいようという気持ちが感じられ、本当に強い人だなぁと感じさせられます。
そうです。
今まで義母の介護をしてくれるいろんなヘルパーさんたちを見てきて、人柄が第一印象で大体分かるようになってきました。
チョコチョコ新人さんが入ってきたりするのですが、初対面での場で大体その人柄が見抜けるようになったのです。
挨拶の仕方や靴の脱ぎ方話し方などで、今まで大体その後に本性を現す人柄も一致する確率95%以上ってところでしょうか。
夜しっかり睡眠時間が確保できること、ゆっくり食事ができること、体調万全で生活できること、外出できること、自分の時間を持てること・・・など普通に生活していて当たり前にできることが、介護環境が整う前は介護100%だったので当たり前にできなかったのです。
それらが現在のように介護環境が整ってきてからできるようになり、何気に考えずにみんなやっていることができる幸せを改めて感じるようになりました。
まだ完全に自由ではないですが、それでも以前に比べたら大分当たり前の生活が出来る様になってきました。
義母は60歳で倒れそこからずっと寝たきりで介護生活を送ってきています。
世の中では同年代の人たちは嫁姑問題や熟年離婚などと騒いでおりますが、問題を感じるのも怒りが起きるのも元気だから。
逆に羨ましく思う限りです。喜怒哀楽を感じられるのも元気だからなのです。
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