在宅介護  首から上しか動かせない【要介護5の義母】をみて想う事

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要介護5の義母をみて、いつも想う事があります。

いつも何を考えいるんだろう!?
と。
そうです。
このブログで義母のことは何度も紹介していますが、現在の身体の状態は
  • 要介護5
  • 寝たきり状態
  • 四肢麻痺
  • 腸ろう
  • 気管切開
  • てんかん発作あり
つまり
  • 誰かが介護しなくては生きていけない状態
  • 完全に首から下が動かせない
  • 手足も全く自分では動かせない
  • 腸に管を通してそこから栄養と水分を補給する状態
  • 首(喉の部分に)にカニューレという器具を通していてそこから呼吸をし声が出ない状態
  • たまに身体が膠着して震える発作が起きる
という事。
かなりかわいそうな状態なのです。
自分がこういう状態になったら

どうなるのかなぁ?

なんて想像したりもしますが、いつも義母に接すると想う事があります。

義母は上記のような状態なので声が出ませんが、僕が帰宅して

「ただいま~!」

と言うと一生懸命に僕の方に目を見開いて見てくれますし、時には口をパクパクさせて

(お帰り!)

と言ってくれます。

また何かを話しかけても耳を傾けて聞いてくれますし、身体は不自由ですが義母は義母なのです。

こんなやり取りをしているといつも感じるのは、

身体が不自由でも中身は元気な時の義母がいる!

という事です。

突然ですが、皆さんスピリチュアリズムってご存知でしょうか?
そうあの江原啓之氏で広まったスピリチュアリズムです。
霊感!?

ってイメージがある人がほとんどだと思います。
僕も最初のイメージはそうでした。霊感はほとんどなく興味という枠だけでテレビ番組を観ていた記憶があります。
その後、本屋さんでたまたま見つけた江原啓之氏の本を読んでイメージはガラリと変わったのです。
一般的に『霊』というと怖い!とか恐ろしい!とか見てみたい!とか存在しない!とか、人それぞれ思うことは様々です。
しかしスピリチュアリズムは入り口は『霊』ですが!もっと深い部分の世界なのです。
説明すると長くなるので割愛しますが、義母と普段接していてスピリチュアリズム的にみると、

こんな例え話が義母に当てはまる!!

と想った事があるのでご紹介したいと思います。

本当の自分ってどこにいますか?
「僕」、「俺」、「私」、「わたくし」と話す時にどこをさして話すでしょうか?
会話中に自分を指す場合、ほとんどの人が胸のあたりに手をやり自分といいませんか?

自分自身は心の中にある。そして心とは胸の中にある。そう説いています。

なかなか難しい話でありますが、さらに続けると自分自身は魂なのだと言っています。

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ここまでくると霊的な発想になってしまいますがなかなか興味深い話ですよね。

だから今の人生が終わりを迎える時には身体は滅びても自分自身の魂は滅びない。帰るべき場所がちゃんとあるようなのです。

今のこの人生は自分自身=魂の学びのカリキュラムだそうです。

人生つらい事や悲しい事、乗り越えなければならないことを経験しそれらの壁を乗り越えて学んでいく。それが人生で魂を磨き上げるための課題だということみたいです。

そう考えると何か楽になるような気がしませんか?

話は少し脱線してしまいましたが、その自分自身の魂が今のこの身体に入り色々と学んでいかなければならないようです。

この話を分かりやすい例え話で説明しています。

自分自身の魂⇒運転者
今現在の自分の身体⇒車

車を運転している自分が本当の自分自身の魂でいろんな所に運転していく。

そして車は故障したり廃車になれば、それが病気だったり死だったりということらしいです。そして次の新しい車でまた運転していく。次の生まれ変わりのことですよね。

何か妙に納得できる話だと思います。

この話を冒頭に書いた義母にあてはめると納得できるのです。

要介護5の状態の義母は車が故障してしまったが、運転している自身の義母はしっかりと車の中に存在している。

だから僕が話しかけても車は正常に動かないけれど、その中でも一生懸命に答えてくれたり話を聞いてくれたりしていると思うようになりました。

見かけは障害者ですが、義母自身ははしっかりその身体の中にいると信じています。

みなさんはどう思いますか?

信じるか信じないかはあなた次第です!

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